常足庵備忘録

注:メモ書き程度なのでくれぐれも参考になさらぬよう

ダークサイドに落ちないための「周那問見經」という「Sallekha-sutta」

阿含の穢品にある「周那問見經」というお経です。

パーリ経典では「Sallekha-sutta」「削減経」で中部経典根本五十経偏の八番目にあります。こちらは詳しい解説が出ているもの紹介しておきますのでぜひご参考に 

 Sallekha-sutta サーレッカ・スッタ 戒め

パーリ経典の方は44項目の戒めがありまして、暴力・殺生・盗み・非梵行・口の禍4つ・貪り・憎しみから八邪道+2へと進み、ここからが面白いのですが、だらけ・混乱・疑い・怒り・恨み・馬鹿にする・張り合う・嫉妬する・物惜しみする・見栄を張る・善人ぶる・頑固になる・高慢になる・反抗的になる・悪友と付き合う・怠るようになる・大事なことが信じられなくなる・悪い事を恥じなくなる・悪い事を恐れなくなる・必要なことを学ばなくなる・怠け癖が付く・注意力散漫になる・知恵が無くなる・主観に取りつかれて変な人になる。と言う具合に(適当です)、いけない人へまっしぐらの目も当てられない人生を暗示しているような・・・・汗

さて、漢字のお経の方を適当に訳してみました。中部経典よりはかなり短くて端折ってますので気になった方は元ネタのパーリ経典で全容をご覧ください。 パーリ仏典 ①-1  中部(マッジマニカーヤ)根本五十経篇 Ⅰ

注:「漸損」を「徐々に(煩悩)を削減する」と置き換えたところもあるので、読みにくかったらごめんなさいです。ちなみに周那さんはチュンダさんとしました。

九十一)中阿含穢品 周那問見經

このように私は聞いた

ある時、仏はコーサンビーのゴーシタ園に居られた

そこにおいて、尊者マハーチュンダは夕方に宴の座より立ち上がり、仏の所へ近づき、仏足を礼拝し、一方に座った。

尊者マハーチュンダ曰く:「世尊!世の中には諸々の見解が生じています、いわゆる神にかかわるもの、生きとし生けるものに、人に、幸福に、命に、世界にかかわるもの。世尊!何を知り、何を見れば、このような見解を滅し、離れられ、断ち、捨てられましょうか?」

この時、世尊は告げられた:「チュンダよ、世の中には諸々の見解が生じている、いわゆる神にかかわるもの、生きとし生けるものに、人に、幸福に、命に、世界にかかわるもの。チュンダよ、もし諸法の滅尽無与者に仕えるなら、その如くを知り、その如くを見れば、このような見解を滅し、離れられ、断ち、捨てられるでしょう、まさに徐々に(煩悩を)削減しようとすることです。

チュンダよ、聖なる法、律中において、漸損の者とは何か?比丘は、欲を離れ、悪不善の法を離れるのである、第四禅を得て成就していると、彼にこのような念が生じます『私は徐々に(煩悩を)削減しようとしている』と。

チュンダよ、聖なる法、律中においては、これは漸損ではなく、四増上心の有る現法楽に住んでいるのである、行者はこれを繰り返しているのである、彼にこのような念が生じます『私は徐々に(煩悩を)削減しようとしている』と。

チュンダよ、聖なる法、律中においては、これは漸損ではなく、比丘はすべての色界想を越え、無色界禅定を成就し遊戯しているのである、彼にこのような念が生じます『私は徐々に(煩悩を)削減しようとしてている』と。

チュンダよ、聖なる法、律中においては、これは漸損ではなく、無色界禅定によって、色界を離れ無色界を得て、行者がこれにより起こっていると言われるのである、彼にこのような念が生じます『私は徐々に(煩悩を)削減しようとしている』と。

チュンダよ、聖なる法、律中においては、これは漸損(煩悩の削減)ではありません。

・漸損の法

チュンダよ、他は悪欲の念欲であっても、我は悪欲の欲念が無いようにと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他は害意・瞋があるが、我は害意・瞋の無いようにと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他は殺生し、与えられていないものを取り、梵行をしないが、我は梵行であろうと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他は(利を求めて)伺いを増し、争いの心を持ち、だらけと眠気で、高慢で惑いと疑いがあるが、我は惑い疑いないようにと、徐々に(煩悩を)削減しましよう。

チュンダよ、他は瞋りに縛られ、へつらいといつわり、恥じなく、恐れないが、我は慙愧があるようにと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他は慢が有るが、我は漫が無くなるようにと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他は増慢が有るが、我は増慢が無くなるようにと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他は多くを学ばないが、我は多くを学ぶようにと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他はもろもろの善法を観察しないが、我はもろもろの善法を観察しようと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他は非法、悪行を行うが、我は如法に行おうと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他は嘘・陰口・暴言・でまかせなど悪い習性のものであるが、我は悪い習性が無いようにと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

チュンダよ、他は信が無く、怠けと、不注意、落ち着きなく悪知恵であるが、我は悪知恵の無いようにと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。

・発心の法

チュンダよ、もし、諸々の善法を務めようとの意欲を発心した者は、則ち余すところなく利益あり、では、また身体と口行の善法とはなにか?

チュンダよ、他は悪欲の念欲であっても、我は悪欲の欲念が無いようにと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は害意・瞋があるが、我は害意・瞋の無いようにと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は殺生し、与えられていないものを取り、梵行をしないが、我は梵行であろうと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は(利を求めて)伺いを増し、争いの心を持ち、だらけと眠気で、高慢で惑いと疑いがあるが、我は惑い疑いないようにと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は瞋りに縛られ、へつらいといつわり、恥じなく、恐れないが、我は慙愧があるようにと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は慢が有るが、我は漫が無くなるようにと、徐々に(煩悩を)削減しましょう。まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は増慢が有るが、我は増慢が無くなるようにと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は多くを学ばないが、我は多くを学ぶようにと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他はもろもろの善法を観察しないが、我はもろもろの善法を観察しようと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は非法、悪行を行うが、我は如法に行おうと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は嘘・陰口・暴言・でまかせなど悪い習性のものであるが、我は悪い習性が無いようにと、まさに発心しましょう。

チュンダよ、他は信が無く、怠けと、不注意、落ち着きなく悪知恵であるが、我は悪知恵の無いようにと、まさに発心しましょう。

・対する法

チュンダよ、このように悪道には対しては正道を与します、このように悪解脱対しては正解脱を与します。

このように、チュンダよ、悪欲の者に対しては非悪欲を与します。害意・瞋りの者に対しては不害意・不瞋を与します。

殺生・与えられていないものを取ること・非梵行の者に対しては梵行を与します。

(利を求めて)伺いを増し、争いの心を持ち、だらけと眠気で、高慢で惑いと疑いの者に対しては疑い惑いのないことを与します。

瞋りに縛られ、へつらいといつわり、恥じなく、恐れのない者に対しては慙愧を与します。

慢の者に対しては不慢を与します。

増慢の者に対しては増慢の無いことを与します。

多く学ばない者に対しては多く学ぶことを与します。

諸々の善法を観察しない者に対しては諸善法を観察することを与します。

非法・悪行を行う者に対しては如法の行いを与します。

嘘・陰口・暴言・でまかせの悪習性の者に対しては善い習性を与します。

信が無く、怠けと、不注意、落ち着きなく悪知恵である者に対しては善き智慧を与します。

チュンダよ、黒い法があれば黒の報いありて、悪処に赴くに至る。白い法があれば白い報いあり、しかも上昇を得るであろう。

このようにチュンダよ、悪欲の者には非悪欲を以って上昇の為とする。

害意・瞋りの者には不害・不瞋を以って上昇の為とする。

殺生・与えられていないものを取ること・非梵行の者には梵行を以って上昇の為とする。

(利を求めて)伺いを増し、争いの心を持ち、だらけと眠気で、高慢で惑いと疑いの者には疑い惑いのないことを以って上昇の為とする。

瞋りに縛られ、へつらいといつわり、恥じなく、恐れのない者には慙愧を以って上昇の為とする。

慢の者には不慢を以って上昇の為とする。

増慢の者には増慢の無いことを以って上昇の為とする。

多く学ばない者には多く学ぶことを以って上昇の為とする。

諸々の善法を観察しない者には諸善法を観察することを以って上昇の為とする。

非法・悪行を行う者には如法の行いを以って上昇の為とする。

嘘・陰口・暴言・でまかせの悪習性の者には善い習性を以って上昇の為とする。。

信が無く、怠けと、不注意、落ち着きなく悪知恵である者には善き智慧を以って上昇の為とする。

・般涅槃の法

「チュンダよ、もし、自ら調御せずに、他人の調御していないことを調御しようと欲しても、このような道理はありません。

自ら溺れている者が、他が溺れているのを救い出そうとするような道理にかなわないものです。

自ら般涅槃でない者が、他の般涅槃に達していない者を般涅槃させようとすることは道理にありません。

チュンダよ、もし、自ら調御する者が、他人の調御していないことを調御しようと欲すれば、まちがいなく道理の有るところです。

自ら溺れていない者が、他人の溺れているのを救い出そうとするような道理にかなったものです。

自ら般涅槃した者が、他の般涅槃に達していない者を般涅槃させるようなまちがいなく道理の有るところです。

チュンダよ、悪欲の者には非悪欲を以って般涅槃の為とする。

害意・瞋りの者には不害・不瞋を以って般涅槃の為とする。

殺生・与えられていないものを取ること・非梵行の者には梵行を以って般涅槃の為とする。

(利を求めて)伺いを増し、争いの心を持ち、だらけと眠気で、高慢で惑いと疑いの者には疑い惑いのないことを以って般涅槃の為とする。

瞋りに縛られ、へつらいといつわり、恥じなく、恐れのない者には慙愧を以って般涅槃の為とする。

慢の者には不慢を以って般涅槃の為とする。

増慢の者には増慢の無いことを以って般涅槃の為とする。

多く学ばない者には多く学ぶことを以って般涅槃の為とする。

諸々の善法を観察しない者には諸善法を観察することを以って般涅槃の為とする。

非法・悪行を行う者には如法の行いを以って般涅槃の為とする。

嘘・陰口・暴言・でまかせの悪習性の者には善い習性を以って般涅槃の為とする。。

信が無く、怠けと、不注意、落ち着きなく悪知恵である者には善き智慧を以って般涅槃の為とする。

このために、チュンダよ、我れは汝の為に漸損の法を、発心の法を、対する法を、般涅槃の法を説いたのです。

尊師が弟子の為に大慈悲・哀憐・愍傷の念を起こし、利益と、安穏快楽を願い求めることを、我れは今しています。

汝ら、また、まさに自ら繰り返しなしなさい、事無く山林・樹下・空室・安静処至り、坐禅思惟し、放逸であること勿れ、精進に勤め、後悔する勿れ、これが我が勅の教えである、これが我が訓戒である。」

仏は是の如く説きたもうた。

尊者マハーチュンダ及び諸比丘は、仏の説きたもうところを聞いて、歓喜した。

(九十一)第五第二小土城誦

阿含穢品周那問見經

我聞如是:

一時,佛遊拘舍彌,在瞿師羅園。

於是,尊者大周那則於晡時従宴坐起,往詣佛所,稽首佛足,却坐一面,

白曰:「世尊!世中諸見生而生,謂計有神,計有衆生,有人、有壽、有命、有世。世尊!云何知,云何見,令此見得滅、得捨離,而令餘見不續,不受耶?」

彼時,世尊告曰:「周那!世中諸見生而生,謂計有神,計有衆生,有人、有壽、有命、有世。周那!若使諸法滅尽無与者,如是知、如是見,令此見得滅、得捨離,而令餘見不續、不受,當学漸損。

「周那!於聖法、律中,何者漸損?比丘者,離欲、離悪不善之法,至得第四禅成就遊,彼作是念:『我行漸損。』

周那!於聖法、律中,不但是漸損,有四増上心現法楽居,行者従是起而復還入,彼作是念:『我行漸損。』

周那!於聖法、律中,不但是漸損,比丘者度一切色想,至得非有想非無想処成就遊,彼作是念:『我行漸損。』

周那!於聖法、律中、不但是漸損,有四息解脫,離色得無色,行者従是起當為他説,彼作是念:『我行漸損。』

「周那!於聖法、律中、不但是漸損。

周那!他有悪欲、念欲,我無悪欲、念欲,當学漸損。

周那!他有害意瞋,我無害意瞋,當学漸損。

周那!他有殺生、不与取、非梵行,我無非梵行,當学漸損。

周那!他有増伺、諍意、睡眠所纏、調貢高而有疑惑,我無疑惑,當学漸損。

周那!他有瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧,我有慙愧,當学漸損。

周那!他有慢,我無慢,當学漸損。

周那!他有増慢,我無増慢,當学漸損。

周那!他不多聞,我有多聞,當学漸損。

周那!他不観諸善法,我観諸善法,當学漸損。

周那!他行非法悪行,我行是法妙行,當学漸損。

周那!他有妄言、両舌、麁言、綺語、悪戒,我無悪戒,當学漸損。

周那!他有不信、懈怠、無念、無定而有悪慧,我無悪慧,當学漸損。

「周那!若但発心念欲求学諸善法者,則多所余益,況復身、口行善法耶?

周那!他有悪欲、念欲,我無悪欲、念欲,當発心。

周那!他有害意瞋,我無害意瞋,當発心。

周那!他有殺生、不与取、非梵行,我無非梵行,當発心。

周那!他有増伺、諍意、睡眠所纏、調貢高而有疑惑,我無疑惑,當発心。

周那!他有瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧,我有慙愧,當発心。

周那!他有慢,我無慢,當発心。

周那!他有増慢,我無増慢,當発心。

周那!他不多聞,我有多聞,當発心。

周那!他不観諸善法,我観諸善法,當発心。

周那!他行非法悪行,我行是法妙行,當発心。

周那!他有妄言、両舌、麁言、綺語、悪戒,我無悪戒,當発心。

周那!他有不信、懈怠、無念、無定而有悪慧,我無悪慧,當発心。

「周那!猶如悪道与正道対,猶如悪度与正度対。

如是,周那!悪欲者与非悪欲為対。害意瞋者与不害意瞋為対。

殺生、不与取、非梵行者与梵行為対。

増伺、諍意、睡眠、調貢高、疑惑者与不疑惑為対。

瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧者与慙愧為対。

慢者与不慢為対。

增慢者与不増慢為対。

不多聞者与多聞為対。

不観諸善法者与観諸善法為対。

行非法悪行者与行是法妙行為対。

妄言、両舌、麁言、綺語、悪戒者与善戒為対。

不信、懈怠、無念、無定、悪慧者与善慧為対。

「周那!或有法黒,有黒報,趣至悪處処。或有法白,有白報,而得昇上。

如是,周那!悪欲者,以非悪欲為昇上。害意瞋者,以不害意瞋為昇上。殺生、不与取、非梵行者,以梵行為昇上。増伺、諍意、睡眠、調貢高、疑惑者,以不疑惑為昇上。瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧者,以慙愧為昇上。慢者,以不慢為昇上。増慢者,以不増慢為昇上。不多聞者,以多聞為昇上。不観諸善法者,以観諸善法為昇上。行非法悪行者,以行是法妙行為昇上。妄言、兩舌、麁言、綺語、悪戒者,以善戒為昇上。不信、懈怠、無念、無定、悪慧者,以善慧為昇上。

「周那!若有不自調御,他不調御欲調御者,終無是処。自没溺,他没溺欲拔出者,終無是処。自不般涅槃,他不般涅槃令般涅槃者,終無是処。

周那!若有自調御,他不調御欲調御者,必有是処。自不没溺,他没溺欲拔出者,必有是処。自般涅槃,他不般涅槃令般涅槃者,必有是処。如是。

周那!悪欲者,以非悪欲為般涅槃。害意瞋者,以不害意瞋為般涅槃。殺生、不与取、非梵行者,以梵行為般涅槃。増伺、諍意、睡眠、調貢高、疑惑者,以不疑惑為般涅槃。瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧者,以慙愧為般涅槃。慢者,以不慢為般涅槃。増慢者,以不増慢為般涅槃。不多聞者,以多聞為般涅槃。不観諸善法者,以観諸善法為般涅槃。行非法悪行者,以行是法妙行為般涅槃。妄言、両舌、麁言、綺語、悪戒者,以善戒為般涅槃。不信、懈怠、無念、無定、悪慧者,以善慧為般涅槃。

「是為,周那!我已為汝說漸損法,已摂発心法,已摂対法,已摂昇上法,已摂般涅槃法。如尊師所為弟子起大慈哀憐念愍傷,求義及余益,求安隱快楽者,我今已作。汝等亦當復自作,至無事処山林樹下空安靜処,坐禅思惟,勿得放逸,勤加精進,莫令後悔。此是我之教勅,是我訓誨。」

佛說如是。尊者大周那及諸比丘,聞佛所說,歡喜奉行。

周那問見經第五竟(千五百七十五字)

皆の嫌いな「常に観察すべき真理」

常に観察すべき五つの真理という経典があります。

漢訳経典にも『一日誦名念』というタイトルで様々な事象を説いたものがありますが、その中で「老・病・死」を短い偈文にした『柔軟経』をメモしておきます。

前半はお釈迦様の在家時代の豪華な生活ぶりが説かれており楽しく読めます。

完全に訳せなくても、漢字を眺めるだけでなんとなく情景が浮かぶのは漢字文化の特権のような気がしますので、眺める気分でも良いと思います。

草花についてはまた後程調べてみたいと思います。

ではまず偈文の勝手訳を貼っておきます。

「病という法、老いという法、および死亡という法、これらの法(真理)は自らに存在するものです。 

凡夫の悪い見解のように、もし、私が(病・老い・死を)憎惡して、此の法(真理)を体得しなければ、私はそのような真理を説くことができないでしょう。 

また、この法を事実として、ありのままに行じてゆけば、法(真理)を知り生を離れる(不死となる)のです。    

病い無く少なからず健康であると、命のために驕り高ぶり、事実から目を背ける驕り高ぶりという欲安の見解を無くし、ありのままに覚知することで、生存の欲によって怖れることの無く、妄想の有ることの無きを得て、梵行を浄く行なうことができるのです」

柔軟經第一

我聞如是。

一時佛遊舍衞國在勝林給孤獨園。

爾時世尊告諸比丘:「自我昔日出家學道、爲從優遊從容閑樂極柔軟來、我在父王悦頭檀家時、爲我造作種種宮殿、春殿夏殿及以冬殿、爲我好遊戲故。去殿不遠復造種種若干華池、青蓮華池、紅蓮華池、赤蓮華池、白蓮華池。於彼池中殖種種水華、青蓮華、紅蓮華、赤蓮華、白蓮華、常水常華使人守護不通一切、爲我好遊戲故。於其池岸殖種種陸華、修摩那華、婆師華、瞻蔔華、修揵提華、摩頭揵提華、阿提牟多華、波羅頭華、爲我好遊戲故。而使四人沐浴於我、沐浴我已赤旃檀香用塗我身、香塗身已著新繒衣、上下内外表裏皆新、晝夜常以繖蓋覆我、莫令太子夜爲露所沾、晝爲日所炙、如常他家麁、麥飯、豆羹、薑菜、爲第一食、如是我父悦頭檀家最下使人、粳糧餚饌爲第一食。

「復次、若有野田禽獸最美禽獸、提帝邏和吒劫賓闍邏、奚米何犁泥奢施羅米、如是野田禽獸、最美禽獸、常爲我設如是之食。

「我憶昔時父悦頭檀家、於夏四月昇正殿上、無有男子、唯有女妓而自娯樂、初不來下、我欲出至園觀之時、三十名騎、簡選上乘、鹵簿前後、侍從導引、況復其餘、我有是如意足、此最柔軟。

「我復憶昔時看田作人止息田上、往詣閻浮樹下、結跏趺坐、離欲離惡不善之法、有覺、有觀、離生喜、樂、得初禪成就遊、我作是念:『不多聞愚癡凡夫、自有病法、不離於病、見他人病、憎惡薄賤、不愛不喜、不自觀己。』我復作是念:『我自有病法不離於病、若我見他病而憎惡薄賤不愛不喜者、我不宜然我亦有是法故。』如是觀已、因不病起貢高者即便自滅、我復作是念:『不多聞愚癡凡夫自有老法不離於老、見他人老憎惡薄賤不愛不喜不 自觀己。』

「我復作是念:『我自有老法不離於老、若我見他老而憎惡薄賤不愛不喜者、我不宜然、我亦有是法故。』如是觀已、若因壽起貢高者、即便自滅。不多聞愚癡凡夫爲不病貢高豪貴放逸、因欲生癡、不行梵行、不多聞愚癡凡夫爲少壯貢高豪貴放逸、因欲生癡、不行梵行、不多聞愚癡凡夫爲壽貢高豪貴放逸、因欲生癡、不行梵行。」

於是、世尊即説頌曰:

病法老法、 及死亡法、     

如法自有、 凡夫見惡、    

若我憎惡、 不度此法、    

我不宜然、 亦有是法、    

彼如是行、 知法離生、    

無病少壯、 爲壽貢高、    

斷諸貢高、 見無欲安、    

彼如是覺、 無怖於欲、    

得無有想、 行淨梵行、

 佛説如是。彼諸比丘聞佛所説、歡喜奉行

降伏一切大魔最勝成就 !!

これは黄色い大般若経典をババ~ッと繰り終わる時に唱える偈文です。

威勢がいいので、なんかお祓いしてるような感じで見ている方もおられるでしょうが、本当は祈祷なんかじゃなく自分のだらしない修行に気合を入れる言葉なんです。

『降伏一切大魔』とは、自分の心を煽るあらゆるすべての誘惑を退けることです。

『最勝成就』とは、この上もない最も優れた涅槃、つまり成道です。日本的には成仏することです。

では、この『一切大魔』とはなにかというと、言うまでもなくお釈迦様が成道されたときに打ち破った魔の軍勢のことです。

この魔の軍勢についてお釈迦さまご自身が語られたお話があります。

スッタニパータの大いなる章にある「励み」ですので、岩波文庫ブッダの言葉」中村元訳 を参考に抜き出してみます。

「つとめはげむこと」

 

 ネーランジャラー河の畔にあって、安穏を得るためにつとめ励み専心し、努力して瞑想していたわたくしに、(悪魔)ナムチはいたわりの言葉を発して近づいてきて言った、

 「あなたは痩せていて顔色も悪い、あなたの死が近づいてきた」。

 「あなたが死なないで生きられる見込みは千に一つの割合だ。君よ、生きよ。生きた方が良い。命あってこそ諸々の善行を作すこともできるのだ」

 かの悪魔がこのように語ったときに、仏陀は次のように告げた。

 「怠け者の親族よ、悪しき者よ、汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが、わたしにはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい」

 「わたしには信念があり、努力があり、また智慧がある。このように専心しているわたしに、汝はどうして命を保つことを尋ねるのか?」

 「(励みから起こる)この風は河水の流れをも涸らすであろう。ひたすら専心しているわが身の血がどうして枯渇しないであろうか」

 「血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。肉が落ちると心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と統一した心はますます安立するに至る」

 「わたしはこのように安住し、最大の苦痛を受けているのであるから、わが心は諸々の欲望にひかれることはない。見よ、心身の清らかなことを」

 「汝の第一の軍勢は欲望であり、第二の軍勢は嫌悪であり、第三の軍勢は飢渇であり、第四の軍勢は妄執といわれる」

 「汝の第五の軍勢はものうさ、睡眠であり、第六の軍勢は恐怖といわれる。汝の第七の軍勢は疑惑であり、汝の第八の軍勢はみせかけと強情と、誤って得られた利益と名声と尊敬と名誉と、また自分をほめたたえて他人を軽蔑することである」

 「(悪魔)ナムチよ、これらは汝の軍勢である。黒き魔の攻撃群である。勇者でなければかれに打ち勝つことができない。勇者は打ち勝って楽しみを得る」

 「このわたしがムンジャ草を取り去るだろうか?(敵に降参してしまうだろうか?)この場合命はどうでもよい。わたしは敗れて生きながらえるよりは、勝って死ぬ方がましだ」

 「軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたしは立ち迎えてかれらと戦おう。わたしをこの場所から退くことなかれ」

 「神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが、わたしは智慧の力で汝の軍勢を打ち破る。-焼いてない生の土鉢を石で砕くように」

                                        以上抜粋

お釈迦さまとは比べることも出来ませんが、これらの軍勢の弱小凡夫バージョンは私たちにも日常にやってきて誘惑の限りを尽くしていますし、時にはこれが本当の私とか自由とか言って暴走している始末です。

では、魔の軍勢を抜き出します

第一軍:欲望

第二軍:嫌悪

第三軍:飢渇

第四軍:渇愛

第五軍:沈鬱、眠気

第六軍:恐怖

第七軍:疑い

第八軍:誤魔化しと強情

第九軍:利益、名声、称賛

第十軍:自賛、他人を貶す

まず、これらの敵を覚えておく事が闘いの始めの一歩ですね。

最初は連敗でしょうが、正しいお師匠さんに就いてお釈迦様の必勝法(三十七菩提分法)を頑張っているうちに、たまたまでも勝てるようになればコツ?が掴めてくるのではないかと思います。

そのためには常に敵の気配を逃さないように気を付けることが大事です。

これを念といい精進ともいいます。

ちなみに大般若に書いてある内容の一部は下記の記事にあります。

http://akiwann.blog111.fc2.com/blog-entry-131.html

曹洞宗では矢鱈と詠む大悲心陀羅尼を中国風に重ねてみると、あら!一語一句意味が通ってきますね!

曹洞宗日常経典の区切りと、語句の有る無しを付け加えてみました。

 

Nīlakaṇṭha Dhāraṇī   

大悲心陀羅尼

    ( )曹洞宗に無し [ ] 曹洞宗には有り

帰依三宝          禮敬聖者   観自在      菩薩

Namah Ratna Trayāya, Namo Āryā, Valokite Svaārya, Bodhi sattvāya,

南無喝囉怛那、哆囉夜耶、南無阿唎耶、婆盧羯帝爍缽囉耶、菩提薩埵婆耶、

 

摩訶薩     大慈悲者     令我 遠離一切驚怖 心生喜悦一切悉清淨

Mahāsattvāya, Mahākāruṇikāya, Oṃ, Sarva Rabhye, Sudhanadasya,

摩訶薩埵婆耶、 摩訶迦盧尼迦耶、 唵、 薩皤囉罰曳、 數怛那怛寫、

 

今所禮敬彼聖者 観自在菩薩其威神力、令我随心自在、無有罣礙 禮敬青頸観者

Namas Krtvā Imaṃ Āryā, Valokite Svara Raṃdhava, Namo Narakindi,

南無悉吉栗埵伊蒙、 阿唎耶、婆盧吉帝室佛囉、愣馱婆、 南無那囉、

 

以金剛杵大智妙用之菩提心 摧滅一切煩悩、令我妙浄吉祥 具無量功徳

Hrīh Mahā Vadhasame, Sarva Arthadu Subhaṃ,  Ajeyaṃ,

謹墀醯利、 摩訶皤哆、 沙咩薩婆、阿他豆輸朋、 阿逝孕、

 

禮敬一切諸佛菩薩、禮敬一切金剛護法  令我心無染著、遠離煩悩束縛 

Sarva Sattva Namo Vasattva Namo Vaga, Mavadudhu,

薩婆薩哆、 (那摩婆薩哆)、  那摩婆伽、 摩罰特豆、

 

即説咒曰 禮拜観自在菩薩、顕化世間救渡衆生、供養彼聖者

Tadyathā, Oṃ Avaloki, Lokate, Kārāte,

怛侄他、  唵 、阿婆盧醯、盧迦帝、 迦羅帝、

 

蓮華妙浄、荘厳殊勝 大菩薩 一切、一切

E Hrīh, Mahā Bodhisattva, Sarva Sarva,

夷醯唎摩訶、 菩提薩埵、   薩婆薩婆、

 

清淨無染  大自在心     作法

Mālā Mālā, Mahima Hrdayaṃ, Kuru Kuru Karmaṃ,

摩囉摩囉、 摩醯摩醯、唎馱孕俱盧俱盧、羯蒙

 

安住、最勝       大勝尊      等持     堅定奉行 威光自在 轉化

Dhuru Dhuru Vājayate,  Mahā Vājayate, Dhara Dhara, Dhrṇi, Svarāya, Cala Cala,

度盧度盧、 [罰] 闍耶帝、 摩訶罰闍耶帝、 陀囉陀囉、 地唎尼、室佛囉耶、遮囉遮囉、

 

令我遠離妄想執著 即得解脱 善召   解厄   金剛護法 随順

Mama Vamāra, Muktele, Ehi Ehi, Sīṇa Sīṇa, Ārsam Pracali, Vasa Vasaṃ,

摩摩罰摩囉、 穆帝隸、 伊醯伊醯、 室那室那、 阿囉嘇佛囉舍利、罰沙罰嘇

 

降服煩悩障 蓮華妙浄遍覆法界  真実不嘘    福徳    甘露     覚悟

Prasaya, Huru Huru Māra, Huru Huru Hr, Sāra Sāra, Siri Siri, Suru Suru, Bodhiya Bodhiya,

佛囉舍耶、呼嚧呼嚧、 摩囉呼嚧呼嚧、 醯利、娑囉娑囉、 悉唎悉唎、 蘇嚧蘇嚧、 菩提夜菩提夜、

 

無上菩提      大慈大悲  青頸観音  威猛尊者 令人敬畏、吉祥円満 第一義諦成就、吉祥円満

Bodhaya Bodhaya, Maitreya, Narakindi, Dhrsṇina, Bhayamana, Svāhā, Siddhāya, Svāhā,

菩馱夜菩馱夜、 彌帝唎夜、 那囉謹墀、 地利瑟尼那、婆夜摩那、 娑婆訶、悉陀夜、 娑婆訶、

 

大成就者吉祥円満 般若空義、無為相応 得大自在、吉祥円満 青頸観音、吉祥円満 不生不滅、吉祥円満

Mahā-Siddhāya, Svāhā, Siddhā-Yoge, Svarāya, Svāhā, Narakindi, Svāhā, Maraṇara, Svāhā,

摩訶悉陀夜、   娑婆訶、悉陀喻藝、 室皤囉耶、娑婆訶、那囉謹墀、 娑婆訶、摩囉那囉娑婆訶、

 

身語意悉清淨、寂静即現前、吉祥円満 一切大義、真空妙有、 吉祥円満  大轉法輪、吉祥円満

Sirā SaṃĀmukhāya, Svāhā,   Sarva Mahā-Āsiddhāya, Svāhā, Cakra-Āsiddhāya, Svāhā,

悉囉僧阿穆佉耶、 娑婆訶、  娑婆摩訶(阿)悉陀夜、 娑婆訶、者吉囉阿悉陀夜、 娑婆訶、

 

蓮華妙法身、吉祥円満  青頸観自在大聖尊、吉祥円満  具大威徳大法力者、吉祥円満

Padma Kastāya, Svāhā, Narakindi-Vagalāya, Svāhā, Mavari Saṅkharāya, Svāhā,

波陀摩羯悉陀夜、 娑婆訶、那囉謹墀皤伽囉耶、 娑婆訶、摩婆利勝羯囉夜娑婆訶、

 

帰依三宝        禮敬聖者    観   自在  吉祥円満

Namah Ratna Trayāya, Namo Āryā, Valokite, Svarāya, Svāhā,

南無喝囉怛那哆囉夜耶、 南無阿唎耶、 婆嚧吉帝、 爍皤囉夜、娑婆訶、

 

加持所願円満  所誦咒語 真言 吉祥円満成就

Oṃ  Siddhyantu,  Mantra, Padāya, Svāhā.

(唵)悉殿都漫多囉、 跋陀耶、 娑婆訶。

正法眼蔵 生死

正法眼蔵生死は、いつも曹洞宗専門僧堂『御誕生寺』の日曜参禅会で坐禅の最後に読んでいました。禅師様のチョイスですね。

禅僧というのは正月に遺偈を書く習わしだそうですが、まあ下手に語をひねくり回すより道元禅師のお言葉を噛締める方が良かろうかと思い挙げてみました。

正しい意図や意味を理解することができなくても、なにか心に浮かび上がるものがあればそれはそれでよいのではないか思います。

そうすれば正しい意味に囚われることなく、読むたびに一期一会の心が生まれることがわかりますので、つまるところ今の自分に親しくなることに繋がると思います。

正法眼蔵 生死

生死の中に佛あれば、生死なし。またいはく、生死の中に佛なければ、生死にまどはず。

こころは夾山定山といはれし、ふたりの禅師のことばなり、得道の 人のことばなれば、さだめてむなしくまうけじ。

生死をはなれんとおもはむ人、まさにこの旨むねをあきらむべし。

もし人生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし、いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなヘり。

ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死として いとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし、このとき、はじめて生死をはなるる分あり。

生より死にうつると こころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきありのちあり、かるがゆへに、佛法のなかには、生すなはち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。生というときには生よりほかにものなく、滅といふときは滅のほかにものなし、かるがゆへに、生きたらばただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひて、つかふべしといふことなかれ、ねがふことなかれ。この生死は、すなはち佛の御いのちなり、これをいとひすてんとすれば、すなはち佛の御いのちをうしなはんとするなり。

これにとどまりて、生死に著すれば、これも佛の御いのちをうしなふなり、佛のありさまをとどむるなり。いとうことなく、したふことなき、このとき、はじめて佛のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ、ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをも、つひやさずして、生死をはなれ佛となる、たれの人かこころにとどこほるべき。

 佛となるにいとやすきみちあり、もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、かみをうやまひ、しもをあはれみ、よろづをいとうこころなく、ねがふこころなくて、心におもうことなくうれふることなき、これを佛となづく、またほかにたづぬることなかれ。

正法眼藏生死 年號不記

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日本臨済宗から五戒を教えてもらう。

禅宗の施餓鬼には甘露門を詠みますが、曹洞宗臨済宗の「若人欲了知」の開甘露門を大施餓鬼として読んでいます。

この開甘露門の出所が中国元代の「幻住庵清規」にある、と記されている『お盆とお彼岸の供養 開甘露門の世界』を見ていると施餓鬼・盂蘭盆の両方に受戒が明記されていまして、とても解りやすい五戒の説法になっていました。

施餓鬼会・盂蘭盆会が三帰・受戒・四弘請願・発菩提心からなる布教・受戒の法会であったことが伺われます。

元時代の禅宗がいかに真剣な仏教だったかを知ることができますので、以下に漢文・和訳を紹介させてもらいます。

受戒

汝諸仏子、既爾称仏為師、当稟受如来浄戒。我今依教、為汝宣説五支浄戒之相。

不殺生是五戒相。原夫殺生。以瞋為本。瞋業既盛、殺害滋多。命命相負、展転酬償、自殺教人殺。殺心不除、輪廻不断。是故尽形令不殺生。

不偸盗是五戒相。原夫偸盗、以貪業為本。貪業未盡、偸心不忘、機関暗啓、恐怖横生、互相酬報、自偸教人偸。偸心不息、塵不可離。是故尽形令不偸盗。

不邪欲是五戒相。原夫淫業、根於痴毒。愛水溺心、化為欲火。受形稟令、莫不由斯、自淫教人淫。淫心不除、塵何有尽。是故尽形令不淫欲

不妄語是五戒相。原夫妄語、已如上殺盗淫業、交相淫覆、使不自知、虚妄成就。妄業既成、復資貪等、自妄教人妄。纏縛生死、安有出期。是故尽形令不妄語。

不飲酒是五戒相。原夫飲酒、能昏正念。能乱正心。昏乱無時、邪謬交作。如上四戒、因之而生。寧飲毒薬、勿貪酒味、自飲教人飲。尽言酒過、積劫勿窮。是故尽形令不飲酒。

名教有言、五戒不持、人天路絶。然五戒之外、復有十無尽戒、四十八軽垢戒、二百五十種大戒、及三聚具足浄戒、無有窮極。如入入海、漸入漸深。汝但信心不退、則諸戒自然入心者矣。

お前たち、諸々の仏弟子たちよ、すでに仏を師と称するからには、如来の浄らかな戒を受けなくてはならない。私は今、教えに依拠して、お前たちのために五つの浄らかな戒のありかたについて説き聞かせよう。

さて、不殺生は五戒のありかたである。そもそも殺生は瞋りを根本としている。瞋りが盛んになると殺害することがますます多くなる。命と命どうしが互いにそむきあい、巡り巡って償いとしての果報を受け、すすんで殺生を行い、他人に殺生を行わせることになる。殺生の心を取り除かなければ、輪廻は断ち切れない。だから身体がなくなるまで殺生しないようにさせるのだ。

不偸盗は五戒のありかたである。そもそも偸盗とは貪業を根本としている。貪業がまだ尽きていなければ、偸みの心はなくならず、はたらきがこっそりと発動し、恐れがとめどなく生じる。過去から未来へと、互いに仕返しをし、すすんで偸みをはたらき、他人に偸みをはたらかせることになる。偸みの心が止まなければ、煩悩から離れることなどできない。だから身体がなくなるまで偸盗をしないようにさせるのだ。

不淫欲は五戒のありかたである。そもそも淫業は痴毒に根ざしている。愛の水に心が溺れれば欲望の火に変化する。身体を受け命を受けることになったのは、このことに起因しているのに、すすんで性行為を行い、他人に性行為を行わせることになる。淫欲の心を取り除かないで、どうして煩悩をなくすことなどできようか。だから身体がなくなるまで淫欲をおこさないようにさせるのだ。

不妄語は五戒のありかたである。そもそもうそは、すでに前述した殺・盗・淫のおこないを、次々と相互に隠し覆い、うそが成立してしまうのに自分でも気付かないようにさせている。うそつきが成り立ってしまえば、さらに貪りなどを助けることになり、すすんでうそをつき、他人にうそをつかせることになる。輪廻に縛られてしまい、出る機会など決してやって来ない。だから身体がなくなるまでうそをつかないようにさせるのだ。

不飲酒は五戒のありかたである。そもそも飲酒は、正しい思考をくらまし、正しい心を乱れさせる。昏乱は時を選ばず、邪な過ちが次々と起こってくる。前述した四つの戒もこれによって生じるのだ。いっそ毒薬を飲むことがあっても、酒を貪り、みずから飲酒し、他人に飲酒させるようなことがあってはならない。酒の欠点を言い尽くそうとすると、永遠に終わらない。だから身体がなくなるまで飲酒しないようにさせるのだ。

経典に言っている、五戒を持たなければ、人天・天道への路が途絶えると。しかも五戒のほかにも、さらに十種の無尽戒・四十八の軽垢戒・二百五十種の大戒、及び三聚浄戒・具足浄戒などがあって限りがない。人が海に入るように、入れば入るほどどんどん深くなっていく。お前たち、もし信じきって疑わない心を持ち、後戻りすることがなければ、諸々の戒は自然に心に入ってくるものなのだ。

大般若にしっかり書かれている行深すべき般若な波羅蜜の方便です

メモしてあった般若な波羅蜜の行深法を適当に解説してみました。

注:単なるメモなので仏道修行の参考にするのなら、くれぐれも鵜呑みにせず調べてください。悪しからず。

大般若波羅蜜多經卷第四百六十九

復勸歸依佛法僧寶。

佛法僧宝に帰依することに勤めよ。

三宝:(佛・法・僧)

或勸受持五近事戒。

五近事戒を受持することに勤めよ。

五戒:(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)

或勸受持八近住戒。

八近住戒を受持することに勤めよ。

八斎戒:(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒・不坐臥高広大床・不著香華瓔珞香油塗身+不作唱技楽故往観聴・不過中食)

或勸受持十善業道。

十善業道を受持することに勤めよ。

十善:(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)

或勸修學初靜慮乃至第四靜慮。

初靜慮から第四靜慮までを修学することに勤めよ。

色界禅定:(第一禅定~第四禅定)

或勸修學慈無量乃至捨無量。

慈無量から捨無量までを修学することに勤めよ。

四無量心:(慈・悲・喜・捨)

或勸修學空無邊處定乃至非想非非想處定。

空無邊處定から非想非非想處定までを修学することに勤めよ。

無色界禅定:(空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処)

或勸修學佛隨念乃至天隨念。

佛隨念から天隨念を修学することに勤めよ。

六隨念:(佛・法・僧・戒・施・天)

或勸修學不淨觀持息念。

不淨觀持息念を修学することに勤めよ。

身隨念:(安那般那念=入出息念・威儀・正智・不浄観・四大・九墓)

或勸修學無常想乃至滅想。

無常想から滅想までを修学することに勤めよ。

十想:(不淨想・死想・食厭想・一切世間不可楽想・無常想・無常苦想・苦無我想・断想・離貪想・滅盡想無常想)

或勸修學四念住乃至八聖道支。

四念住から八聖道までを修学することに勤めよ。

四念処:(身・受・心・法)

八正道:(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)

或勸修學空無相無願解脱門。

無相無願解脱門を修学することに勤めよ。

三解脱門:(空・無相・無願)

或勸修學八解脱乃至十遍處。

八解脱から十遍處を修学することに勤めよ。

八解脱:(色者色見・無色想色見・浄解脱・空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処・想受滅)

十遍處:(地、水、火、風、青、黃、赤、白、空、識)

或勸修學布施波羅蜜多乃至般若波羅蜜多。

布施波羅蜜から般若波羅蜜まで修学することに勤めよ。

六波羅蜜:(布施・自戒・忍辱・精進・禅定・智慧)

或勸安住内空乃至無性自性空

空から無性自性空までに安住することに勤めよ。

空:(※固定化した概念の否定)

無性自性空:(※すべての存在は縁起によるもので、個で成り立つ自性の否定)※適当な私見です

或勸安住眞如乃至不思議界。

眞如から不思議界までに安住することに勤めよ。

(「大般若波羅蜜多經卷第十、初分讃勝徳品第五」に云く、能安住無等等眞如・法界・法性・不虚妄性・不變異性・平等性・離生性・法定・法住・實際・虚空界・不思議界)

或勸安住苦集滅道聖諦。

苦集滅道聖諦に安住することに勤めよ。

四聖諦:(苦諦・集諦・滅諦・道諦)

或勸修學一切陀羅尼門三摩地門。

一切陀羅尼門、三摩地門を修学することに勤めよ。

陀羅尼門:(「摩訶般若波羅蜜経広乗品第十九、丹本名為四念処品」に云く、諸字無礙無名亦滅、不可說不可示、不可見不可書、須菩提、當知一切諸法如虛空、須菩提、是名陀羅尼門)

三摩地:(禅定:サマディ)

或勸修學淨觀地乃至如來地。

淨觀地から如來地までを修学することに勤めよ。

十地:(浄観地・種地・第八地・具見地・柔軟地・離貪地・已弁地・辟支佛地・菩薩地・佛地)

或勸修學極喜地乃至法雲地。

極喜地から法雲地を修学することに勤めよ。

菩薩十地心:(歓喜地・離垢地・発光地・焔慧地・難勝地・現前地・遠行地・不動地・善慧地・法雲地)

或勸修學五眼六神通。

五眼六神通を修学することに勤めよ。

五眼:(指肉眼・天眼・慧眼・法眼・佛眼)

六神通:(神足通・天耳通・他心通・宿命通・天眼通・漏尽通 )

或勸修學如來十力乃至十八佛不共法。

如來十力から十八佛不共法までを修学することに勤めよ。

如來十力:(如來・應供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士調御丈夫・天人師・佛・世尊)

十八佛不共法:(身無失・口無失・念無失・無異想・無不定心・無不知捨心・欲無減・精進無減・念無減・慧無減・解脱無減・解脱知見無減・一切身業随智慧行・一切口業随智慧行・一切意業随智慧行・智慧知過去世無碍・智慧知未来世無碍・智慧知現在世無碍)

或勸修學三十二大士相八十隨好。

三十二大士相八十隨好を修学することに勤めよ。

(佛の身体的特徴を三十二の相に表現したもので、八十髄好はさらに細分化した相)

或勸修學無忘失法恒住捨性。

無忘失法恒住捨性を修学することに勤めよ。

※(法を忘失すること無く、捨性(無執着)に恒に住するために説かれた諸々の行)※適当な私見です

或勸修學一切智道相智一切相智

一切智道相智一切相智を修学することに勤めよ。

一切智:声聞独覚智、道相智:菩薩魔訶薩智、 一切相智:如来正等覚智

或勸修學預流果乃至獨覺菩提。

預流果から獨覺菩提までを修学することに勤めよ。

(預流果・不還果・阿羅漢果・獨覺菩提の段階)

或勸修學一切菩薩摩訶薩行。

一切菩薩摩訶薩行を修学することに勤めよ。

(菩薩は「覚りを求める衆生」であり、摩訶薩は「偉大な衆生」)

或勸修學諸佛無上正等菩提。

佛無上正等菩提を修学することに勤めよ。

(佛の無上正等なる菩提(悟り)つまり阿耨多羅三藐三菩提)

如是善現。

菩薩摩訶薩行深般若波羅蜜多方便善巧。

是の如く善く現された。

これは諸々の悟りを求める衆生であり偉大な衆生が智慧の修行を深く行じるための善巧な方便である。