常足庵備忘録

注:メモ書き程度なのでくれぐれも参考になさらぬよう

達磨とは?

参考 柳田聖山著「ダルマ」筑摩書房・「達磨の語録」講談社学術文庫より。

 ダルマについての最古の記録はどのような物かというと、「菩提達磨」の名に着眼すると次のような物があるという。

「そのころ西域より来た菩提達磨というしゃ紗門がいた。ペルシャ生まれの胡人である云々。」『洛陽伽藍記』547年著

 また、禅宗の祖としての達磨に関しては弟子曇林著として『菩提達摩略弁大乗入道四行』が最古である。曇林は516年洛陽の永寧寺で経典漢訳の筆受として活躍していた。

 この『菩提達摩略弁大乗入道四行』は後に『続高僧伝』に収められる。また二十世紀に敦煌本『二入四行論長巻子』の発見で明らめられる。

 達磨は480年頃に当時のシルクロードの都、大同に来たという。

また、下記の資料に詳しい達磨西来の考察がなされています。

菩提達磨 中国の歴史資料からの達磨の物語集

 

 しかし「無功徳」「不識」「崇山少林寺の面壁」などの有名な逸話は上記の資料には出て   こない。           

 それらは『菩提達磨南宗定是非論』という732年以降、慧能や神秀の寂後数年に南宗禅を創唱し北宗の非を主張する神会の語録にはじめて現れる。 

 神会は、崇洛の禅が盛大の頃、一人嶺南に行き、神秀・慧能に学び有功徳の誤りを知ったとされる。

 それによると、達磨はインドで如来禅を受け、それを伝えるために中国に来たとされる。                

 これは師神秀が長安と洛陽の二大都市に定着させた北宗禅の北伝ダルマ伝を改め、菩提達磨から六祖慧能に至る正法眼蔵涅槃妙心の伝統は南宗禅にあると主張するためであった。

 そのため、まったく達磨とは関係の無い『達磨多羅禅経』に因って、仏陀から達磨までの十三代説を唱えたという。(これは後に何度も改められて現在の二十八祖説になった。)

 

 ということで?毎朝唱える伝統歴代仏祖や法戦の勇ましい語録も色々と変遷があり、しかし、わりと研究され、いくらか明らかにされた事が知れたわけです。

 よく言われる達磨が実在か実在でないかは、歴史に粉飾されて観念化された人物が存在したか否かであって、西域からぶらりとやってきた僧が居たか居なかったか、とは別次元の話です。

 まあ、私としては、国家に招かれたわけでもなく、権力者に諂わず請われて講義もせず、一葉の経典も持たず、只、有功徳仏教の蔓延した中国に新しい西風の如く現れた外国僧がいただけで十分浪漫です、他に何も飾りは要りません。

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