常足庵備忘録

注:メモ書き程度なのでくれぐれも参考になさらぬよう

達磨・ダルマ・だるま語録の感想文なので、あしからず。(柳田聖山著「ダルマ」筑摩書房・「達磨の語録」講談社学術文庫) 第五部

・41 罪の本質

問:凡夫はなぜ悪道に堕ちるのでしょうか?

答:私が有るために愚かなのだ、愚か者は「私は酒を飲むと」言い、智者は「じゃあ酒が無い時にはなぜ無い酒を飲まないのだ?、百歩譲って、無い酒を飲んだとしても君のいう私はいったい何処に在るんだい?」と。

愚か者はまた言う「私は罪を作ってしまった」と、智者は「いったい君の罪はどんな姿をしてるのか?」と。

これはみな縁に依って生じたものでそのものの性質は無い。

生じるときに既に私が無いことを知れば、誰が作り、誰が受け取るということは無い。

人が地獄に堕ちるというのは、心に私というものを計って想像し分別して、私は悪を行って私がその報いを受ける、私は善を行って私が果報を受けると言ってるだけだ。

・42 自我を救うもの

問:だれが私の自我を救うのですか?

答:法が自我を救う、なぜわかるかといえば、姿形現象に執着するから地獄に堕ちるのであって、理法を観察するから解脱するのだよ。

もし物の姿形を見て想像するならば、すぐに現実に生死の現象を見るのであって、妄想分別無ければすぐに存在のあり方そのものなんだよ。

・43 存在の本質

問:どのようなものが存在のあり方現れですか?

答:心と身体、これが存在の本質的な現れだよ。

この存在の本質的なあり方は実体無く、限り無く、広大で虚空のように見ることは出来ない。これが本質的な存在の世界だよ。

・44 理法を知る

問:そうやれば理法を知る事が出来ますか?

答:理法は感覚や知覚を越えたものだから、もし心が感覚や知覚を超えたならば君は理法を知る事が出来るのだ。

また、理法は認識や見解を超えている、もし君の心が認識や理解を超えたならば理法を観る事が出来る。

すべての理法を得ないことを理法を得たといい、すべての理法を見ないならば理法を観たといい、すべての理法を分別しないならばすべての理法を分別したといえるのだよ。

・45 見ることを超えた理法と覚者

問:理法が見る事出来ないのならば、どうやって障りのない見方でしょうか?

答:知らない事は障りのない知り方だし、見ない事は障りのない見方だ。

問:理法が覚りを超えたものであるなら、仏を覚者というのはなぜですか?

答:覚りの無いところが覚りであり、理法と同じく覚るのが仏の覚りだ。

もし心の姿を看て、法の姿を看て、つとめて心所を看て、これが寂滅だ、無生だ、解脱だ、空だ、悟りだ、無処処だ、これが法界だ、道場だ、法門だ、智慧だ、禅定無碍だ、とすればだ、そのような見解を作った者は、まあ、無残な生ける屍だな。

・46 六種のハラミツ

問:六波羅蜜は一切智を生じるのでしょうか?

答:波羅蜜などというものは自もなく他もないのだ、誰が受けるとか、得るとかあるだろうか。

生きとし生けるものは業も果報も共にするのだ、幸福と姿形を分ける事は無いのだよ。

涅槃や真如は見ようとしない、無駄な論議を起こさず、心意識の想いを離れて、方便にこだわらない、このようなものを「ありのまま」と言うのだ。

この「ありのままの世界」では方便は使えないし役に立たない、それで波羅蜜(完全な悟り)と呼ぶのだよ。

・47 開放された心

問:なにを解脱の心というのですか?

答:心は物質で無いから物質に属せず、非物質で無いから非物質に属さない。

心は物質を映すが物質に属さず、非物質を映すが非物質にも属さない。

心は姿形で見る事はできず、物質ではないが、物質でないから空だという事ではない。

心は物質と心のあり方を超えているが虚空と同じではない。

菩薩はあきらかに空と不空を顕にするが、小乗は空は認めても不空は認めない、声門は空を得ても不空を得ることが出来ない。

・48 さまざまな妄執

問:一切の理法は有でなく無でもないというのでしょうか?

答:誰かが、心というものは姿形が無いのが存在の本質である、心は物質でないから有では無し、働いて留まることがないから無ではない、だとか、また働いても常に実態はないので有ではない、実体は無いが常に働いているから無ではない、等と言ったり、実体がないから有でなく、縁に依って起きるから無ではない、凡夫は有に執着し、小乗は無に留まる、菩薩は有にも無にも留まらない、と言うならば、このような見解を妄想というのだ。

また、見えるものを見ず、見えないものを見ないことを、存在を見るといい、知られるものを知らず、知られないものを知らないことを存在を知るという、このような見解も妄想というのだよ。

また、様々な心のありように対して分別し、名前を付け、説明しているが、このような理解・解釈をしている者は、妄想転倒して自分で境界を作っていることを終わらせる事が出来ないならば、その心を波浪心とよぶのだよ。

・49 自分の心が現じたものとは?

問:どのように自分の心が現すのでしょうか?

答:有るとか無いとか、一切の存在を分別することが妄想だけどね。

・50 縁法師のことば

問:何を心の結ばれといい、何を心の癖というのですか?

縁:生滅する心が結ばれだし、生滅がないと思う事が心の癖だね。