常足庵備忘録

注:メモ書き程度なのでくれぐれも参考になさらぬよう

最古の漢訳経典とも言われる 『四十二章経』 麗蔵本の拙い口語訳です

禅家ならば学ぶべき経として古来より「仏祖三経」が挙げられているようです、「仏祖三経」とは「遺教経」・「潙山警策」・「四十二章経」の三つです。

この中で遺教経はよくお通夜の枕経に使われますし、また潙山警策を書かれた潙山禅師の公安は道元禅師もよく取り上げています。

潙山警策口語訳

潙山警策

残りの「四十二章経」はもともと小乗(歴史的表現)の経だとされていたらしく、大乗的思想の異本が現れて後、大乗経典としての地位を得たということです。

大体、下記のように分類できるといいます。

・麗蔵本:高麗本・宗本・元本を麗蔵本と呼び小乗的思想に終始すると言われる「四十二章経」。

・明蔵本:明蔵本は所々に大乗的思想を表示する句が付け加えられています「四十二章経」。

・守遂本:守遂禅師(投子義靑禅師の孫弟子である)が仏祖三経とした大乗色の濃い「仏説四十二章経」で、禅宗で良く読まれ、出版された解説本も数多く見られます。

明蔵本漢文はこちらです四十二章經明蔵本

麗蔵本漢文はこちらです四十二章經麗蔵本

ここでは下記資料を参考にして拾い上げた麗蔵本について拙い訳ですが挙げることにします、悪しからず。

参考資料

大正新修大蔵経

仏説四十二章経 仏遺教経

経疏部 註四十二章經

四十二章經

後漢に西域の沙門、迦葉摩騰 、共法蘭が譯す

昔、漢の孝明皇帝夜夢に神人を見る、身體は金色で有り、項に日光有り、殿前に飛在し、意中欣然たり、甚だ悦び 明日、郡臣に問うた。此れ何神と爲すや、通人有りて傅毅して曰く、臣天竺に得道者有りと聞く、號して曰く佛なり、輕擧飛能い、殆ど將に其の神なり、於て是れ上悟なり。即ち使者を遣り、張鶱羽林中郎將泰景博士弟子王遵等十二人、大月支國に至り、第十四石函中に在りて、佛經四十二章を寫取す、塔寺を登起立し、於て是の道法を流布す、處處に佛寺を修立し、遠人伏して臣妾者の爲に化願す、國内淸寧にして稱數う可からず、含識之類い蒙恩受頼し于いて今も絶ず也。

第一章

佛言く、親を辭して出家し道を爲す、名づけて沙門と曰う、常に二百五十戒を行い、進志清淨にして四眞道の行を爲し阿羅漢と成る。 阿羅漢者は飛行變化すること能い、壽命なり、住すれば天地を動す。次を阿那含と爲す、阿那含者は壽で終り、魂靈上十九天に於て阿羅漢を彼得す。次を爲斯陀含、斯陀含者は一たび上り一たび還りて即ち阿羅漢を得る。次を爲須陀洹、須陀洹者は七たび死し七たび生れて便ち阿羅漢を得る。 愛欲斷者は譬えば四支を斷じて、復た之れを用いざるが如し。

第二章 第三章

佛言く 鬚髮を除して沙門と爲り、佛法を受け、世の資財を去る。乞い求めて足るを取り、日中に一食、樹下に一宿し愼みて再びすること矣れ、人を使して愚蔽ならしむる者は愛と欲なれば也。

第四章

佛言く、衆生は十事を以って善と爲し、亦た十事を以って惡と爲す。身三口四意三なり、身三者とは殺、盜、婬なり、口四者とは兩舌、惡罵、妄言、綺語なり、意三者とは嫉、恚、癡なり、三尊を信ぜずを以って眞の邪と爲す、優婆塞は五事を行ず、懈退なく十事に至れば必ず道を得る也。

第五章

佛言く、人に衆の過り有り、而も自ら悔いて頓に其心を止めざれば、罪來りて身に歸すこと猶お水の海に歸して自ら深廣と成る矣、惡有れども非を知り過りを改め善を得れば、罪自ら消滅し後ちに道を會得する也。

第六章 第七章

佛言く 人愚かに吾れに以て不善を爲すが、吾れ四等慈を以て之を濟しく護る、重ねて惡を以て來る者には、吾れ重ねて善を以て往す、福徳之氣常に此に在る也、害氣を重ねて殃い反て彼に于いて在す、人有りて、佛道を聞き、大仁慈を守り、惡を以て來りても善を以て往す、故に來りて罵すとも佛默す、之を愍れみて答えず、癡冥狂愚使然として罵り止む、子に問うて曰く、禮を以て人に從るが其の人納ず、實に禮は之の如く乎、曰く持ち歸る、子今我を罵すが我れ亦た納めず、子自ら子身の禍を持ち歸るなり、猶お應に響の聲を影の形を追うがごとし、終いに愼に惡を爲して免れ離れる無し。

第八章

佛言く、惡人の賢者を害すは、猶お天を仰いで唾するに唾の天を汚さず、還て己身を汚す、逆風に人を坋すとも塵は彼を汚さず、還って于いて身を坋す、賢者を毀禍すは不可なり、必ず己を滅す也。

第九章 第十章

佛言く 夫れ人が道に務め博愛を爲せば博く哀を施せ、徳も莫た大施なり、志を守り道を奉ずれば其の福は甚大なり、人道を施すを覩て之を助けて歡喜すれば、亦た福報を得る、質に曰く彼の福當に減せざる、佛言く、猶お炬火の如し、數千百人各の炬を以て來り取れども其の火は去らず、彼は故に火の如し、福も亦たこの如し。

第十一章

佛言く、百の凡人に飯せんよりは一の善人に飯するに如かず、千の善人に飯せんよりは一人の持五戒者に飯するに如かず、萬人の持五戒者に飯せんよりは一の須陀洹に飯するに如かず、百萬の須陀洹に飯せんよりは一に斯陀含に飯するに如かず、千萬の斯陀含に飯せんよりは一の阿那含に飯するに如かず、 一億の阿那含に飯せんよりは一の阿羅漢に飯するに如かず、十億の阿羅漢に飯せんよりは一の辟支佛に飯するに如かず、百億の辟支佛に飯せんよりは三尊之教度其一世二親に飯するに如かず、数千億よりは一佛に飯するに如かず、佛に求めんと欲し學び願う濟しく衆生なる善人に飯するは福最深重なり、凡人は天地鬼神を事とし、其の親を孝するに如かず、二親最神也 。

第十二章

佛言く、天下に五難有り、貧窮して布施すること難し、豪貴にして道を學ぶこと難し、命を制して死ざること難し、佛經を覩ることを得ること難し、佛世に生を値うこと難し。 

第十三章

沙門有りて佛に問う、何を以て得道の縁とす、宿命を知るに奈何、佛言く、道に形無し、之を知るに益無し、當に志と行を守らんと要す、譬えば鏡を磨くが如く垢去りて明存す、即ち自ら形を見る、欲を斷じ空を守る、即ち眞に道を見る、宿命と知る矣。 

第十四章 第十五章

佛言く、何者を善と爲すや、唯だ道を行ずを善とす、何者を最大とするや、道に合う志しを與すを大とす、何者を多力とするや、忍辱を最健とす、忍ぶ者は怨無し、必ず人に尊ぶ爲り、何者を最も明心垢除とするや、惡行を滅し内に清淨無瑕なり、未だ天地の有らざるより于いて今日に逮るまで、十方の所有ことに、未だ之の萌を見ず、知らずということ無し、聞かずということ無しを得る 一切智を得るには明と謂う可し乎。

第十六章

佛言く、人が愛欲を懷きて道を見ずは、譬えば濁水に以て五彩を其中に投じるが如し、之を致力して攪せば衆人共に臨めども、水上に其の影を覩る者有ること無し、愛欲交錯し心中濁と爲す、故に道を見ざる、水澄んで穢除し清淨無垢なれば即ち自ら形を見る、釜下に猛火を著し中に水踊躍し、布を以て上を覆えば衆生照臨すれども亦其影を覩る者無し、心中に本より三毒有りて湧沸内に在す、五蓋に外を覆れ終に道を見ず、心垢は盡く乃ち魂靈の從り來し所、生死の所の趣向を要すと知る、諸佛の國土に道徳の所在を耳す。 

第十七章

佛言く、夫れ道を爲す者は、譬えば炬火を持して冥室中に入るが如し、其の冥即ち滅して而も明猶お在す、道を學び諦を見れば愚癡都て滅して見ざること無しを得る。

第十八章

佛言く、吾が何の念を念の道とし、吾が何の行を行の道とし、吾が何の言を言の道とするや、吾が念は諦の道なり、須臾に忽せず也。 

第十九章

佛言く、天地を覩て常に非らずと念じ、山川を覩て常に非らずと念じ、萬物の形體の豐熾を覩て常に非らずと念ず、心に執ること此の如しならば、道を得ること疾なり矣、佛言く、一日道を念じ道を行ずるを常に行ずれば遂に信根を得る、其の福は無量なり。 

第二十章

佛言く、身中四大を熟に自ら念ずれば、各自に名有れども、都て無爲り、吾が我者は寄りて生じ亦た久からず、其の事幻耳の如し。

第二十一章

佛言く、人、情欲に隨いて花名を求む、譬えば香を燒するが如し、衆人其の香を聞ぐが、然れども香は薫を以て自ら燒く、愚者は流俗之名譽を貪ぼる、眞道を守らず、花名は己を危くす之禍いなり、其の悔は後時に在り。

第二十二章

佛言く、財色之人に於けるや、譬えば小兒の刀を貪るが如し、刃に之れ蜜甜あり、一食之美に足らざる、然れども舌之患を截くこと有る也。

第二十三章

佛言く、人、妻子寶宅に於て繋る之の患いは、牢獄桎梏鋃鐺に於けるよりも甚だし、牢獄は原赦有れども妻子精欲は雖だ虎口之禍い有り、已に猶お甘心に投じ焉り其の罪を赦すこと無し。

第二十四章

佛言く、愛欲は於て色より甚しきこと莫し、色之欲爲るは其の大なること外に無し、頼に一有るのみ矣、其れ假に二あれば普く天之民は、能く道の爲にする者無し。

第二十五章

佛言く、愛欲之人は猶お炬火を執りて風に逆い而も行く、愚者は炬を釋らず必ず手を燒く之患い有り、貪婬恚怒愚癡之毒は人身の處に在り、早く道を以て斯の禍いを除かざる者は必ず危殃有り、猶お愚貪の炬を執りて自ら其の手を燒く也。

第二十六章

天神、時有りて、玉女を於て佛に獻じ、以て佛意を試し佛道を觀んと欲す、佛言く、革嚢の衆穢、爾來るも斯れを以て何をか爲す可し、俗は六通動ずること難し、去れ、吾が爾に用いず、天神踰いよ佛を敬い因て道意を問う、佛解釋を爲せば、即ち須陀洹を得る。

第二十七章

佛言く、夫れ道を爲す者は、猶お木の水に在りて流を尋ね而して行くがごとし、岸の左に觸らず亦た岸の右に觸らず、人の取る所に爲さず、鬼神の遮ぎる所に爲ず、洄流し住する所に爲ず、亦た腐敗せず、吾が其れ海に入るを保つ矣、道を爲す人、情欲惑いの所に爲ず、衆邪誑りの所に爲ず、無疑に精進すれば吾が其の得道を保つ矣。 

第二十八章

佛、沙門に告ぐ、愼みて汝意を信ずる無れ、汝意は終に信ず可からず、愼みて色に會う與う無れ、色に會い與えば即ち禍い生ず、阿羅漢道を得れば乃ち汝意耳を信ず可し。 

第二十九章

佛、諸沙門に告ぐ、愼みて女人を視ること無れ、若し見ても視ること無し、愼みて言を與えること無れ、若し言を與える者は、心を勅し行を正せよ、曰く吾れ沙門爲り濁世の處に于ても、當に蓮花の泥所の爲に汚れざるが如し、老者を以て母と爲し、長者を以て姊と爲す、少者を以て妹と爲す、幼者は子のごとくし、之れ禮を以て敬い、意は殊に當に諦を惟だ観る、自ら頭から足に至るまで自ら内を視て、彼の身は唯だ惡露諸不淨種の盛りなり何か有らむと、以て其の意を釋すべし。 

第三十章

佛言く、人、道を爲すは情欲を去るべし、當に草の火を見るが如し、火、已に劫來す、人の愛欲を見るは、必ず當に道之れ遠し。 

第三十一章

佛言く、人有り、婬情の止ざるを患い、斧の刃上を踞ぎて以て自ら其の陰を除す、 佛之に謂うて曰く、若し陰を斷ずること使しむには、心を斷つに如ず、 心は功曹を爲す、 功曹若し止めば、從う者都て息まん、邪心止まらざれば陰を斷って何の益えきあらん、 斯れ須らく即ち死す、佛言く、世俗は倒見す、斯くの如きの癡人は、童女婬の彼男に與う有るを誓う、期至るに來らず而て自ら悔いて曰く、思想生じるを以て吾が爾の本意を知らんと欲す、吾が爾に思想せず即ち爾に而して生ぜず、此の迦葉佛之偈を記し俗間に流在す。 

第三十二章

佛言く、人愛欲に從りて憂い生ず、憂に從りて畏れ生ず、愛無くば即ち憂い無し、憂ざれば即ち畏れ無し。

第三十三章

佛言く、人、道を爲すは、譬えば一人と萬人戰うが如し、鉀を被し兵を操して門を出で戰わんと欲す、意怯え膽弱なれば迺ち自ら退走す、或は道半で還る、或は格鬥して而死す、或は大勝を得て還り國高遷す、夫れ人能く其の心を牢持すれば、精鋭進行にして流俗の狂愚之言者に惑わざるに于て惡盡く滅さんと欲す、必ず道を得る矣。

第三十四章

沙門有りて、夜誦す、甚だ悲意にして悔疑有り、歸思生ぜんと欲す、佛、沙門を呼びて問う、汝、家處に于て將に何の修を爲すや 對へて曰く恒に琴を彈く、佛言く、絃緩ければ何如、曰く鳴らざる矣、絃急ならば何如、聲絶ゆ矣、急緩中を得ば何如、曰く諸音普く悲し、佛告ぐ、沙門の學道も猶お然り、心調適に執れば道を得可し矣。

第三十五章

佛言く、夫れ人、道を爲すに猶お鐵を鍛え漸いよ深所に垢を棄去し器を成すべし、必ず道を好學し以て心垢を漸いよ深きに去りて精進成道すべし、暴なるは即ち身を疲す、身を疲せば即ち意を惱す、意を惱せば即ち行を退す、行を退せば即ち罪を修すなり。 

第三十六章

佛言く、夫れ人、三惡道を離れ人と爲るを得ること難し、既に人と爲るを得るも、女を去りて即ち男たること難し、既に男爲るを得るも、六情完具すること難し、六情已に具うとも、國中に生れること難し、既に國中に處するとも、佛道に値い奉ずること難し、既に佛道に奉ずるも、道之君に値い有うこと難く菩薩の家に生れること難し、既に菩薩の家に生れたるも、三尊の信心を以て佛世に値うこと難し。 

第三十七章

佛言く、弟子吾を去り離れること數千里なるも、吾が戒を意念すれば必ず道を得る、吾が左側に在りとも、意邪に在れば終に道を得ず。

第三十八章

佛、諸の沙門に問う、人の命は幾間に在りや、對へて曰く數日の間に在り、佛言く、子未だ能く道を爲さず、復た一沙門に問う、人の命は幾間に在りや、對へて曰く飯食の間に在り、佛言く子未だ能く道を爲さず、復た一沙門に問う、人の命は幾間に在りや、對へて曰く呼吸之間、佛言く、善哉、子謂可べし道を爲す者矣。

第三十九章

佛言く、人、道を爲すに、猶若し蜜を食すに中邊だ皆甜し、吾が經も亦た爾其の義皆快し、行ずる者は道を得る矣。

第四十章

佛言く、人道を爲すに能く愛欲之根を拔くべし、譬えば珠を擿み懸るが如く、盡く惡會い有る時一一之を擿み盡く道を得る也。

第四十一章

佛言く、諸の沙門道を行うは、當に牛を負うて深泥中を行くが如し、疲れ極まるも敢えて左右を顧りみず、欲の趣く泥を離れ以て自ら蘇息すべし、沙門視るべし、情欲の泥彼り於て甚だし、心を直し道を念ずれば、衆苦を免る可し。

第四十二章

佛言く、吾れ、諸侯之位を視ること、過客の如し、金玉之寶を視ること、礫石の如し、 氎素之服を視ること、弊帛の如し。

四十二章經