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常足庵備忘録

曹洞宗常足庵住職の備忘録です

皆の嫌いな「常に観察すべき真理」

常に観察すべき五つの真理という経典があります。

漢訳経典にも『一日誦名念』というタイトルで様々な事象を説いたものがありますが、その中で「老・病・死」を短い偈文にした『柔軟経』をメモしておきます。

前半はお釈迦様の在家時代の豪華な生活ぶりが説かれており楽しく読めます。

完全に訳せなくても、漢字を眺めるだけでなんとなく情景が浮かぶのは漢字文化の特権のような気がしますので、眺める気分でも良いと思います。

草花についてはまた後程調べてみたいと思います。

ではまず偈文の勝手訳を貼っておきます。

「病という法、老いという法、および死亡という法、これらの法(真理)は自らに存在するものです。 

凡夫の悪い見解のように、もし、私が(病・老い・死を)憎惡して、此の法(真理)を体得しなければ、私はそのような真理を説くことができないでしょう。 

また、この法を事実として、ありのままに行じてゆけば、法(真理)を知り生を離れる(不死となる)のです。    

病い無く少なからず健康であると、命のために驕り高ぶり、事実から目を背ける驕り高ぶりという欲安の見解を無くし、ありのままに覚知することで、生存の欲によって怖れることの無く、妄想の有ることの無きを得て、梵行を浄く行なうことができるのです」

柔軟經第一

我聞如是。

一時佛遊舍衞國在勝林給孤獨園。

爾時世尊告諸比丘:「自我昔日出家學道、爲從優遊從容閑樂極柔軟來、我在父王悦頭檀家時、爲我造作種種宮殿、春殿夏殿及以冬殿、爲我好遊戲故。去殿不遠復造種種若干華池、青蓮華池、紅蓮華池、赤蓮華池、白蓮華池。於彼池中殖種種水華、青蓮華、紅蓮華、赤蓮華、白蓮華、常水常華使人守護不通一切、爲我好遊戲故。於其池岸殖種種陸華、修摩那華、婆師華、瞻蔔華、修揵提華、摩頭揵提華、阿提牟多華、波羅頭華、爲我好遊戲故。而使四人沐浴於我、沐浴我已赤旃檀香用塗我身、香塗身已著新繒衣、上下内外表裏皆新、晝夜常以繖蓋覆我、莫令太子夜爲露所沾、晝爲日所炙、如常他家麁、麥飯、豆羹、薑菜、爲第一食、如是我父悦頭檀家最下使人、粳糧餚饌爲第一食。

「復次、若有野田禽獸最美禽獸、提帝邏和吒劫賓闍邏、奚米何犁泥奢施羅米、如是野田禽獸、最美禽獸、常爲我設如是之食。

「我憶昔時父悦頭檀家、於夏四月昇正殿上、無有男子、唯有女妓而自娯樂、初不來下、我欲出至園觀之時、三十名騎、簡選上乘、鹵簿前後、侍從導引、況復其餘、我有是如意足、此最柔軟。

「我復憶昔時看田作人止息田上、往詣閻浮樹下、結跏趺坐、離欲離惡不善之法、有覺、有觀、離生喜、樂、得初禪成就遊、我作是念:『不多聞愚癡凡夫、自有病法、不離於病、見他人病、憎惡薄賤、不愛不喜、不自觀己。』我復作是念:『我自有病法不離於病、若我見他病而憎惡薄賤不愛不喜者、我不宜然我亦有是法故。』如是觀已、因不病起貢高者即便自滅、我復作是念:『不多聞愚癡凡夫自有老法不離於老、見他人老憎惡薄賤不愛不喜不 自觀己。』

「我復作是念:『我自有老法不離於老、若我見他老而憎惡薄賤不愛不喜者、我不宜然、我亦有是法故。』如是觀已、若因壽起貢高者、即便自滅。不多聞愚癡凡夫爲不病貢高豪貴放逸、因欲生癡、不行梵行、不多聞愚癡凡夫爲少壯貢高豪貴放逸、因欲生癡、不行梵行、不多聞愚癡凡夫爲壽貢高豪貴放逸、因欲生癡、不行梵行。」

於是、世尊即説頌曰:

病法老法、 及死亡法、     

如法自有、 凡夫見惡、    

若我憎惡、 不度此法、    

我不宜然、 亦有是法、    

彼如是行、 知法離生、    

無病少壯、 爲壽貢高、    

斷諸貢高、 見無欲安、    

彼如是覺、 無怖於欲、    

得無有想、 行淨梵行、

 佛説如是。彼諸比丘聞佛所説、歡喜奉行