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常足庵備忘録

曹洞宗常足庵住職の備忘録です

仏さまに手を合わせるときに考えること

お仏壇の御本尊に手を合わせる時に、ただ習慣でしていたり、なんだかわからないけど利益ありそうだから、というような感じの方も居られるかと思います。

せっかくのお仏壇と御本尊ですから、ひとつ「敬い」という気持ちを作ってみてはどうでしょうか?

この「敬いを念じる」というのは「私が私が・・」という自我の慢が減っていく修行でもあります。

実際に、「敬う」という心を数分でも保ち続ければ心が静かに軽くなるのが実感できます。

この実感は慢心を遮断するという行為に随って得られる功徳みたいなものです。

お金も道具も準備も時間もかかりません、仏道修行のいいところです。

ただ「敬う」には一分の疑い(例えば「そうはいっても矛盾したとこがあるからいまいちなんだよね」や「でも、つくり話でしょ?」みたいな)も邪魔になるので、対象が完全無欠の人格や理論でないと出来ないこともあります。

まあ、カルトのように洗脳されて邪信になったり、アイドルのようにただ漫然と感情で入れ込んだりしても出来ないことはありません。

しかし、仏教徒が何千年も調べて精査した事柄を使った方が失敗の心配が無いといえます。

禅宗では仏の徳を念じる時に「如来十号」という偈を唱えますので、次に伝統的な仏法僧の念じ方を紹介します。

仏徳を念じて敬いの心を作ってみます。

南無帰依仏」と唱えながら

は、阿羅漢であり、正等覚者であり、明行具足であり、善逝であり、世間解であり、無上調御丈夫であり、天人師であり、である、世尊である」と念じます。

南無帰依法」と唱えながら

「法は、かれ、るものであり、非時のものであり、るものであり、くものであり、各自自覚するものである」と念じます。

南無帰依僧」と唱えながら

「僧は、善行であり、質直行者であり、如理行者であり、四双八輩であり和敬行者であり、応請にかなうであり、供奉にかなうであり、応施にあたいするであり、応合掌すべきであり、無上福田者である」と念じます。

各称号の言葉の意味はここに詳しいので参考にしてください。

仏法僧(三宝)の徳の偈文

http://www.j-theravada.net/sutta/butsu-hou-toku2.html

意味がつかめたら次のように偈文を唱えるのもよいです。

南無帰依仏、阿羅漢、正等覚者、明行具足、善逝、世間解、無上調御丈夫、天人師、佛、世尊

南無帰依法、善説、自見、非時、来見、引導、各自自覚

 

南無帰依僧、善行者、質直行者、如理行者、四双八輩和敬行者、応請者、供奉者、応施者、応合掌者、無上福田者

あるいは、お釈迦さま在世の時と同じようにお唱えしたいと思ったらパーリ語でお唱えすることも可能です。

一般の我々がしっかり意味を把握してパーリ語でお唱えできるのは日本の仏教歴史の中で極々最近のことなんです。

100年前に生まれてたら叶わなかったような事です。

そういう点でも、続いて届いた「法」にも、続けてくれた届けてくれた「僧」にも感謝して敬うことが出来ると思っています。

では下記参照で。

仏法僧(三宝)の徳の偈文

http://www.j-theravada.net/sutta/butsu-hou-toku2.html