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常足庵備忘録

曹洞宗常足庵住職の備忘録です

最古の経典?スッタ・ニパータの漢語経をお勤め用に意訳してみたのでメモっときます。

佛説義足經卷  呉月支優婆塞支謙譯

 

六、老い

是身命甚短 減百年亦死 雖有過百年 老從何離死 

坐可意生憂 有愛從得常 愛憎悉當別 見是莫樂家 

死海無所不漂 宿所貪愛有我 慧願觀諦計是 是無我我無是

是世樂如見夢 有識寤亦何見 有貪世悉亦爾 識轉滅亦何見 

聞是彼悉已去 善亦惡今不見 悉捨世到何所 識神去但名在 

既悲憂轉相嫉 復不捨貪著愛 尊故斷愛棄可 遠恐怖見安處

比丘諦莫妄念 欲可遠身且壞 欲行止意觀意 已垂諦無止處 

無止者亦尊行 愛不愛亦嫉行 在悲憂亦嫉行 無濡沾如蓮華

已不著亦不望 見聞邪吾不愛 亦不從求解脱 不汚婬亦何貪

不相貪如蓮華 生在水水不汚 尊及世亦爾行 所聞見如未生

 

自分読経用にメモった適当な勝手訳ですので悪しからず。

六、老い

 

是身命甚短 減百年亦死 雖有過百年 老從何離死

この命はとても短い、百年ほどで死んでしまう。

百歳を超えたとしても、老いて皆死に別れる。

 

坐可意生憂 有愛從得常 愛憎悉當別 見是莫樂家 

意に可なうようにとすれば憂いが生まれる、愛執が有れば変わってほしくないとするからである。

愛するものとも憎いものともすべて別れるものであると見て、家に在って楽を求めてはならない。

 

死海無所不漂 宿所貪愛有我 慧願觀諦計是 是無我我無是

私のものであると貪り愛執したところで、死の海に漂わないところはない(死によって失われてしまう)。

これは私のものではない、これは私ではない、とこれらを智慧で観て諦めなさい。

 

是世樂如見夢 有識寤亦何見 有貪世悉亦爾 識轉滅亦何見 

世の楽とは夢で見るようなものである、眠りから覚めて何か見れるものが有ろうか。

世の愛貪もまたそのようなものである、滅することを識ってしまえば何が見れるものか。

 

聞是彼悉已去 善亦惡今不見 悉捨世到何所 識神去但名在 

聞いたことのある人も皆去って逝くものである、善も悪も今となっては見ることも出来ない。

悉く世を捨て何処へ行ったのやら、ただ去って識られるのは名前ばかり在るだけである。



既悲憂轉相嫉 復不捨貪著愛 尊故斷愛棄可 遠恐怖見安處

また、貪りや愛著を捨てなければ、嫉妬が転じて憂いや悲しみとなるのである。

ゆえに尊者らは愛執を断ち捨てて、恐れから遠のいた安穏な処を見たのである。

 

比丘諦莫妄念 欲可遠身且壞 欲行止意觀意 已垂諦無止處

比丘らよ、この身は壊れるものだと諦めて、貪欲から遠ざかり妄想するなかれ、

貪欲による行いを止めて、意によって意を観てとどまる処の無いことを諦め終わりなさい。

 

無止者亦尊行 愛不愛亦嫉行 在悲憂亦嫉行 無濡沾如蓮華

尊者はとどまることの無く行くものである、愛するものも愛さぬものも、憎むものも悲しみ憂いまた嫉妬することも、蓮の葉の雫の如く無くなるのである。

 

已不著亦不望 見聞邪吾不愛 亦不從求解脱 不汚婬亦何貪

すでに、見たり聞いたりしたことに邪な我見や愛憎をつくったり、執着したり願望しない。

また、解脱を求めることに執着しないのだから、汚物淫行何物にも貪りが無い。

(この偈は大乗思想のようにも取れますが、前章である『最上の章』より受けたものだと解釈しています)

 

不相貪如蓮華 生在水水不汚 尊及世亦爾行 所聞見如未生

水中に在っても水に汚されない蓮の葉の如くに、あらゆる相に貪りがない。

尊者は世においてこのように、見るもの聞くものになにものをも生じないのである。