常足庵備忘録

注:メモ書き程度なのでくれぐれも参考になさらぬよう

世間八法 八世間法

仏教では世間八法という、人間の進化と共に築かれた社会的価値観を適当に分類したものがあります。

「利益・損失、名誉・不名誉、賞賛・非難、楽・苦」という相対する四つの価値観のことです。

人が他の動物と異なる巨大な大脳皮質を形成することが出来た理由に、脆弱な個の生命維持や遺伝的存続という、自己存在に不可欠なコミニュケーションツールである言語の習得が主な要因として挙げられています。

私は鳴き声から言語にと爆発的変化を成した原動力がこの世間八法だと思うことが有ります。

それはさて置き、私たちは生まれたときから、あるいは生まれる前の名付けの時点からこの世間八法を期待されてきました。学校でも、家庭団欒の酔った親父からも、正月の親戚からも、クラブでも、会社でも、神社でも、あるいは結婚して我が家庭を持ったとしても、およそ地球上どこででも逃げ場なくこの「利益・損失、名誉・不名誉、賞賛・非難、楽・苦」という世間八法を望まれ、挑まれ、煽られ、脅されて成長し、有頂天になったり絶望したり、時として命と引き換えにまでしてしまいます。

 

仏教ではこの人間社会から引き外せない「利益・損失、名誉・不名誉、賞賛・非難、楽・苦」という世間の八法から離脱します。それゆえに出家と云います。

 

ここでは、この世間八法が語られてる話を一つ上げてみたいと思います。



かの有名な祇園精舎を寄進されたアナータピンディカ長者という大商人の娘がアナータピンディカ長者の友人の所へ嫁ぐ話です。

 

祇園精舎を寄贈するくらいですから仏教徒といってもお釈迦様や高弟子の方々と親交があり仏教に常に触れられているお方なので娘さんも同じように出家とは如何なるものかとよくご存知でした。

 

ところが嫁ぎ先の友人は邪教を信心しており敬虔な仏教徒の娘は見るに耐えず接客を拒んだようです。

腹を立てた夫の父は嫁いできた娘を追い返そうするところ、夫の母が接客を拒む理由を訊ねました。

そこで娘が語った言葉が世間八法から離れた出家の在り方でした。

以下はその娘が義母に説明した言葉です。

(パーリー語と続いて拙い訳文です)



Santindriyā santamānasā santaṃ tesaṃ gataṃ ṭhitaṃ okkhittacakkhū mitabhāṇī, tadisā samaṇā mama.

 

Kāyakammaṃ suci tesaṃ vācākammaṃ anāvilaṃ manokammaṃ suvisuddham,  tadisā samaṇā mama.

 

Vimlā samkhamuttābhā suddhā antarabāhirā puṇṇā suddhehi dhammehi, tadisā samaṇā mama.

 

Lābhena unnato loko alābhene ca onato, lābhālābhena ekaṭṭhā, tadisā samaṇā mama.

 

Yasena unnato loko alābhena ca onato, yasāyasena ekaṭṭhā, tadisā samaṇā mama.

 

Pasamsāya unnato loko nindāya pana onato, samā nindāpasaṃsāsu, tadisā samaṇā mama.

 

Sukhena unnato loko dukkhena pana onato, akampā sukhadukkhesu, tadisā samaṇā mama.



諸々の感覚が静まって、意も静まっている、その歩く様や立つ姿も静か、目は伏せて節度ある。それがわたしの沙門です。

 

身業やその語業、濁りのない意業、極めて明浄です。それがわたしの沙門です。

 

真珠のように垢を離れ、内外も清らか、清らかな法に満ちている。それがわたしの沙門です

 

世間は利得に慢心し失われると落ち込みます。利得や利を求めることから離れてる。それがわたしの沙門です。

 

世間は名声に慢心し失われると落ち込みます。名声や名声を求めることから離れてる。それがわたしの沙門です。

 

世間は賞賛に慢心し非難されると落ち込みます。賞賛非難にも平静。それがわたしの沙門です。

 

世間は楽に慢心し苦であると落ち込みます。楽苦に動じない。それがわたしの沙門です。

 

ここで気づきますね、この話では世間八法に塗れているのは邪教の宗教者なのです。

当然ですが、世間八法から離れて初めて仏教の出家なのです。

家出人から出家者に近づくように精進しないといけないわけです。

ちなみにわたしは「出家」と名乗るのもおこがましいので「家出」と称していますw

 

このように世間八法は今も昔も宗教者に対しての判断基準になるわけです。

あやしいかそうでないかはこの八法で、考えや言葉や行いを見ると判断できますねw